金遣いの荒さに酒か煙草がセットになったら消耗している理由

酒とタバコと金遣いの荒さ

酒とタバコが止められない?その理由とは

酒とタバコ、私もハマりにハマったことがあるので分かります。

 

酒もタバコも止めるのが大変です。

 

酒を呑んでも、タバコを吸っても、思考力は維持できると思います。

 

酒の場合は呑みすぎると判断力や思考力は低下しますけどね。

 

ある程度なら、思考力は維持できるし良い気分にもなります。

 

呑み方次第ですね。

 

タバコも同様で、喫煙者は肩身の狭い時代になりましたが、吸うと一時的に思考力はアップするのではないかと感じるほどです。

 

ですが、日常の知的レベルが少しずつ下がっていくのではないかという疑問を否定できるだけのものは持ち合わせていないですけどね。

 

ただ、酒もタバコも思考力が維持できるのであれば、知的な面で問題が出て止められない状態に陥ってしまうわけではないはずです。

 

ですが、酒もタバコもこの知力を上回る「依存性」を示してしまうことが多い。

 

だから、明確に止めようと思っても動物的な自己がそれを完全に振り払ってしまうことがあります。

 

自分ではどうしようもなくなってしまうのです。

 

酒とタバコを止めることが出来るとしたらこんな状況

もともと、お酒やタバコへの依存度が小さい人であれば、知的抑制力が酒やタバコ依存してしまった肉体を制圧して、酒もタバコも止めることが出来るかもしれません。

 

それから、日常生活のサイクルや環境を変えることで、お酒やタバコへの依存度のうち習慣的な部分だけは取り除くことが出来るかもしれません。

 

それがきっかけで知的な抑制力が依存力を上回り、タバコも酒も止めることが出来るかもしれませんが、お酒もタバコも依存性が高く、止めることができる状況というのは意外に少ないはずです。

 

なぜなら、依存が人間の動物的な肉体部分にあって、この肉体部分はもともと強烈な保身性があるからです。生命を存続させるためですね。

 

組織が衰退していくときには、この保身が非常に強くなっていきます。

 

それぞれが自己の安全を考えて、動物的になっていくからです。

 

こうなるともう知的な力ではどうにもならない状況になります。

 

だから、一生懸命に勉強して知的な能力を高めた人ばかりを集めて作ったはずの組織でも全く同じことがおきます。

 

何らかの変化を環境にもたらさない限り、組織を変えることが出来ない状況に陥るのです。

 

酒とタバコへの依存、そして消耗生活への道

お酒とタバコへの依存。

 

このどちらでも、誰かが依存するほどにメリットを享受するのはメーカーでしょうね。

 

もちろん、彼らメーカーも依存するほど呑んでくれるな、吸ってくれるなと思っているとは思いますが、商売の理屈から言えば誰が見ても確実に利益を享受することになります。

 

つまり、酒とタバコへの依存は、誰かのお金儲けシステムの中に完全に入ったことを意味します。

 

しかも、止められない状態というのは、常にお金を支払っている状態です。

 

誰かの不労所得システムの中に入ったということです。

 

それから、当たり前のようにお酒やタバコにお金を使う姿勢は、金遣いの荒さにつながってしまうことが多いです。

 

なぜなら、お酒やタバコの習慣を持つことで、酒なら「お菓子」や「おつまみ」、タバコなら「缶コーヒー」、少し体調が悪くなるとティッシュやのど飴、通院費用が、酒やタバコの習慣がない人よりも増えていくからです。

 

これくらいなら大したことはないはずですが、さらにこの些細なことが「数字」への感度を下げていきます。

 

つまり、金銭感覚が少しずつ麻痺していくということです。

 

それが毎日少しずつ積み上げられていって、気が付いたときには金遣いの荒い状態に陥ってしまいやすい。

 

酒やタバコを吸っても知的な力を維持できますが、この力を少しずつ弱体化させるだけの力がお酒やタバコの習慣自体には認められるということだと思います。

 

そして、さらに誰かの不労所得システムの中に組み込まれていきます。

 

酒、タバコからの金遣いの荒い生活が意味すること

酒もタバコも金遣いの荒さにも共通すること。

 

それは他人が作った商品への絶対的な依存です。

 

いつもお金の支払い側に回ることが多くなってしまいます。

 

しかも、単に自分の動物的欲求を満たすための消費が多くなることがあります。

 

そして、その消費が何らかのアウトプットに結びつくようなこともない。

 

消費して、満足して、それで終わり。

 

その消費分が多くて、自己投資に全くお金が向かわない状態。

 

つまり、お金の支払いが自分にとっては単なる消費、さらに自分の残金がゼロ円状態。

 

このような人たちに、さらに追い打ちをかけることがあります。

 

酒、タバコ、金遣いの荒い生活、そして時間

もう手元には何も残っていない状態だというのに次はテレビを付けて電力を消費しながら、他人の時間を生きる。

 

自分にお金がない状態なのに、他人の不労所得を少しでも増やそうとしているかのようです。

 

実際、そのようになっていますけどね。

 

他人の仕組みの奴隷化した生活。

 

この生活が意味することは、自分の知性までも抜き取られた状態ということです。

 

完全なる資本主義の奴隷生活です。

 

これが消耗生活の極地だと思っておいた方がいいです。

 

このような状況に陥ってしまうのは知的に弱い立場にいる人が多いはずです。

 

お金も時間も売り渡してしまっている状態になっていると言っても良いと思います。

 

そして、それが意味することは「知性」そのものも売り渡しているということです。

 

全てに共通することは他人の仕組みがそこにあるということです。

 

だからこそ、自分の仕組みを作っていくことが大事。

 

わずかに残された光、目の奥にまだわずかな光があると信じることが出来るのであれば、立ち上がるべきです。