感謝の心を育むために絶対に欠かせないこととは

感謝の心を育むために絶対に必要なこと

「感謝」について、これまでも取り上げたことがありました。

 

この感謝を感じるために必要なものは、感謝を感じることが出来る環境です。

 

これが絶対に欠かせません。

 

感謝を感じる環境は人それぞれ違いがあって当然です。

 

この感謝について、誤った考え方を持っている人がいるようですので、今回は少し詳しく取り上げていきたいと思います。

 

感謝とは何か

最近、「感謝が足りていない」といったことをある政治家の先生が別の先生に指摘したと報じられていました。

 

その指摘は「感謝」についての認識不足から起きています。

 

感謝とは心で感じること。感情のことです。

 

その感情が足りていないと人に指摘することは、嬉しさが足りないとか悲しさが足りないとか、そういったことを人に言うことと同じことです。

 

あり得ないのです。

 

ですが、なぜ人に向かって「感謝が足りていない」などと指摘してしまうのでしょうか。

 

おそらく、感謝が感情だと分かっていないし、感謝の気持ちを身体で感じていないからだと思います。

 

そうなると、感謝が行動様式とか考え方だと思ってしまうことになります。

 

だから、考えが足りていないという意味で感謝が足りていないといった言葉選びをしてしまうことがあるようです。

 

感謝とは考えではないです。感情のことです。

 

感謝を示しなさいと親が子供に教えるときに、感謝の意味が分かっていない親が増えているようなのです。

 

子供に対して「感謝の感情があるでしょう?それを言葉にちゃんと出しなさい、伝えなさい。」といったような教育をしているのがまともな大人であって、そのときに「感謝の感情がなぜ君は存在しないのか?」などと言っているわけでもなく、心の要素がないままにスタイルとしての「ありがとう」を言いなさいと教育をしているわけでもないです。

 

でも、感謝の感情が分からないから、考え方とか世渡り術として「ありがとうを言いなさい」とか「感謝しなさい」といった言葉を大人が子供に言っている場合があります。

 

子供からすれば「?」でしかない状況があり得るってことです。

 

それで、子供は世の中のルールとしての感謝スタイルを学んでいくことになります。

 

現実的に、社会ではこのスタイル部分があることを私も否定しませんが、本来、感謝というのは感情のことです。

 

感謝の強制があり得ない理由

感謝が「感情」のことだと分かっている人からすれば、感謝の強制があり得ないのは、当たり前のことです。

 

喜びが足りないとか、悲しみが足りないとか、そういった人間としての感情を強制していることになるからです。

 

言論の自由を奪われるよりも、もっとあり得ないことです。

 

人の感情まで強制的に変えようという点では、ある意味で奴隷制の感覚以下でしょうね。

 

だから、感謝の強制はあり得ないです。

 

なぜ感謝を感じなくなったのか

それは環境に原因があります。

 

本来、人間は生きている限り、環境から「感謝」の感情を育むはずです。

 

でも、その感情が無くなっている。

 

生きていること、生かされていることを感じることが出来なくなったことが大きな要因になっていると思います。

 

例えば、山から獲物を確保して血抜きをして保存してとか、魚を釣って血抜きをして捌いて保存してとか、山で山菜を取って回ってとか、こういった生命との関わりが全く無くなってしまったことが本当に大きな要因だと思います。

 

感謝を感じることが出来ていない人は、食べ物にも形式としての「ありがとう」を言っていてそこに感謝の感情がない。

 

そういう環境で暮らしているから、ずっと感謝がないままに大人になり、親になってそして子供を教育するときにも、スタイルとしての感謝を教えるようになります。

 

その感謝スタイルに不足を感じると、人に指摘を始めることすら出てきます。

 

無教養の明示といったところです。

 

それを発言している人だけでなく、そうかそうかと言って聞いている人も同様です。

 

感謝が無くなると起きること

感謝が与えられていない状態、つまり心に不足がある状態だと、人から心を求めようとします。

 

人ばかり見つめるようになっていくのです。

 

物欲しそうにいつも人の持ち物を見つめるようになります。

 

自分はいつでも不足しているからです。

 

お金を沢山持っていても、逆にお金が無くて生活が苦しい状態の人でも同じことが起こり得ます。

 

逆に、感謝で満たされていると次々に新しい感謝を見出します。

 

なぜなら、感謝を感じながら捉える物事には、感謝の気持ちが乗っかっていくからです。

 

感謝の有無の違いで、生きている世界が全然違うことになります。

 

だから、平気で嘘を付いてまわったり、人を惑わしたり騙したりといったことを感謝がない人は平気で行ってしまいます。

 

なぜなら、失うものがない、つまり感謝の心がないのです。

 

感謝が無くなると騙したり、嘘を付いたり、人を傷つけたりといったことを平気でするようになります。

 

これが社会が悪くなる根源要素の一つです。

 

だから、以前から「まず感謝を据えよ」と言っているわけです。

 

感謝がないことは教養がないこと

感謝がないと平気で嘘を付いたり、人を惑わしたり、人を傷つけたりするようになります。

 

つまり、感謝を感じることが出来ない環境で育った人は、一生懸命に学校で勉強させても教養が身に付きません。

 

教養が身に付いていない状態、いくら頑張って主張しても「蛮勇」の領域を出ません。

 

こういった「蛮勇」ばかりを多くしてしまっているのが今の日本の問題なのかもしれませんね。

 

「蛮勇」の意味するところは教養がないために社会的な価値がないということではないです。

 

その意味するところは価値がマイナスだということです。

 

だから、この蛮勇だけは避けなければいけません。

 

感謝を知らず、金銭の合理性だけしか見えない世界を持った頭脳になると金銭のために人を騙して生活することに悪い気持ちすら持たなくなります。

 

もともと、悪い気持ちを感じるだけの感謝に包まれていないからです。

 

つまり教養が枯渇しているということです。

 

そして、ある特徴を持った人が増えていきます。

 

外部環境から感謝を感じないために、ある特徴を持った人が増えてしまいやすくなります。

 

それが以前、以下の記事でも触れた件になります。

永遠の生命 まず感謝を据えよ

 

ある神話で預言された通りになってしまうことがあるのです。