ショーケン(萩原 健一さん)が愛されて許された理由

ショーケン(萩原 健一さん)が許された理由

ショーケンが亡くなりました。

 

学校から帰ってテレビを付けると再放送の「傷だらけの天使」。

 

かなりインパクトがあった記憶があります。

 

私は再放送で見ている世代、つまり、影響を強く受けていた世代よりも後の世代なのですが、それでもインパクトの強さは感じていましたね。

 

そんなショーケンさんが亡くなって、あぁ、これは残念だと思っていたところ、これとは別の視点でも盛り上がりを見せていました。

 

それが乙武さんのツイート。

 

「萩原健一は4度逮捕されて、ピエール瀧を徹底的に糾弾し復帰は許さないのは何故?」ですね。

 

これは結構面白いポイントを突いていると思ってみていました。

 

でも、これには明確な答えが私の中ではあります。

 

その答えというのが「1回はただの罪人、3回やれば神」です。

 

つまり4回逮捕されたショーケンは絶対伸のような存在、ドラゴンボールの世界で言えば界王神のような存在になっているところがあったと思います。

 

この解釈で社会的な過ちを促すような誤解をされたくないので明確に言っておきますが、それはショーケンさんを見つめる側の問題、内面が変化する点にあるということです。

 

ショーケンさんがカッコ良くて、昔のスターだからOKとかではないです。

 

ですが、この受け取る側の回数による印象の違いは、我々の社会を見つめる視点としても、とても重要な視点だと私は思っています。

 

その視点の出発点となるような疑問が乙武さんのツイートだと思います。

 

4度逮捕されたショーケンをどのように捉えたのか

1度逮捕されると批判にさらされたり、色々な分析がなされたりすると思います。

 

2度目だとこれがさらに強くなります。どうしようもないと完全に思われてしまいます。

 

ですが、3度目だと完全に手に負えないことだと分かるようになります。

 

だから、3度目に逮捕されると抗えない何か、人智を超えた何かを、周囲の人たちは心のどこかで感じるようになります。

 

懸命に生きた結果として、このようになっているんだと、皆がどこかで感じるようになっていくものと思います。

 

ショーケンの場合、そこに追加でもう一回、それをすり込んだような形になっています。4回ですからね。

 

本人としては環境の中で一生懸命に生きているんだと皆が認識し始めることになるのです。

 

自分の置かれた環境で自分の能力の範囲で発揮される行動に社会性が保てていない部分があった。

 

でも、本人なりの誠実さを失っていたわけではないとするなら、それ以上に社会は何をその人に求められるのでしょうか。

 

ある意味で、社会には決して屈しない誠実さを保っていたと受け取ることも出来るわけです。

 

ショーケンには、そういうことがあるんですよね。それがショーケンの魅力だと思います。

 

金に踊らされ、商品に踊らされ、名誉に踊らされる。

 

そういう層の人たちから完全に突き抜けた部分を持っていたこと。

 

お札で口を拭き、どんな商品でもコンビーフをかぶり付くように消費し、どんな名誉からも掛け離れた位置にいるように感じさせる人だったと思います。

 

そういう所からにじみ出る人間の光。

 

そういうものがショーケンさんにはあったと思いますね。

 

ショーケンさんのヤバさも、逮捕され続けたその人生についても社会的にはマズイけれども、でも彼なりの誠実さを認めないわけにはいかない部分があったとみながどこかで感じていたこと。自分の人生には誠実に一生懸命に生きていたこと。

 

そして、悪意を持って誰かを騙したりするような人ではなかったこと。真っ直ぐだったこと。

 

それがショーケン(萩原 健一さん)が愛されて許された理由だと思います。

 

ショーケンよりもヤバイこと

ショーケンさんのような誠実さ、ヤバさは社会にとっても実は必要だと思います。

 

それが無いと社会は衰退していくはずです。

 

悪いことが悪いままに放置され続けるからです。

 

あいつはヤバイ!

 

でも、実は社会の方がヤバかった!

 

そういうことがあるんですよね。

 

だから、ヤバイ奴が、そして真っ直ぐな奴がいなくなったら社会って勝手に衰退していきます。

 

その理由が多様性に対する認識の不足です。

 

1度目、2度目、3度目。

 

この流れの中で変化しているのは多様性に対する理解でもあるのです。

 

ですので、多様性についての認識が非常に薄い社会であることはショーケンさんの件からも明らかです。

 

ショーケンから見えてくる死刑制度の盲点

多様性を身体で分かっていること。

 

これは死刑制度に対する捉え方にもつながります。

 

たとえば、既に死刑になったオウム真理教信者の人たちがいましたが、仮に彼らが同じことを3回やっていたら、社会はどのようにその事件を捉えたか。

 

社会に不満を持った若者が新幹線で突然見知らぬ人に襲いかかったような事件でも、彼が3回、同じようなことを繰り返したらどう思うか。

 

もちろん、そのようなことは制度上もありえないはずですが、そういった事件を受け取る側の人の心はどのようになるだろうか。

 

そのあたりも含めて考えておくこと。

 

それが理性的な判断、多様性を踏まえた判断になると思います。

 

だからといって、死刑制度を無くした方がいいと私が思っているわけではないですけどね。

 

ですが、個別の適用については多様性を考慮出来ていないのではないかと思うことがあります。

 

多様性について良い方向から語ることも出来ますが、一方で、現在その理解が不足しているために起こり得ることについても想定できるということです。

 

仮に、そういうことがあるなら、社会の側に問題の根源があることについては否定できない部分があるのです。

 

その盲点の明示。それが乙武さんのツイートだったようにも思います。